殯(もがり)について調べてみました。

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たけうち
こんにちは、終活社長の竹内です。

2016年8月8日、午後3時に天皇陛下のお言葉がテレビ各局で公表されました。

個人的な感想については別の機会にお伝えしたいと思いますが、11分からなるメッセージにはいろいろなお言葉が含まれていたせいか、公表されてからインターネットで検索されたキーワードが複数ありました。

そのなかでも多数のユーザーから検索されたキーワードが殯(もがり)です。

わたしも「殯(もがり)って何?」という状態だったのでスマホで検索しましたが、はじめて殯(もがり)という言葉を聞く人も多いようで、メッセージから5日ほど過ぎたいまでも質問されることがあります。

まだ知らない人もいるようなので、きょうは殯(もがり)について調べたことをまとめます。



殯(もがり)についてググってみると。

殯(もがり)とは

殯(もがり)とは、日本の古代に行われていた葬儀儀礼で、死者を本葬するまでのかなり長い期間、棺に遺体を仮安置し、別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、死者の復活を願いつつも遺体の腐敗・白骨化などの物理的変化を確認することにより、死者の最終的な「死」を確認すること。その棺を安置する場所をも指すことがある。殯の期間に遺体を安置した建物を「殯宮」(「もがりのみや」、『万葉集』では「あらきのみや」)という。(:Wikipedia)

殯(もがり)は日本の古代に行なわれていた葬儀儀礼で、死者を本葬するまでの期間、棺に遺体を仮に納めて安置し、別れを惜しむこと、またその棺を安置する場所を指す。「喪(も)上がり」から生まれたことばだとされ、類義語に荒城(あらき)がある。(殯の森:Wikipedia)

古代における死霊供養の儀式。わが国の葬祭のもっとも原初の様式といわれる。古代には、死者があると、葬送を行なう前に、遺体を仮小屋、あるいはそれに類した、風光を遮る場所に隔離し、死者とある期問生活をともにするならわしがあった。葬制史の上では、風葬から埋葬へ移行する時点に発生したと推定されている。
なぜ殯を行なったかについては、死者の蘇生を願う「魂(たま)呼び」であったという説があり、また、死霊(新霊-あらみたま)の崇りが怖ろしいので、それを封鎖するために行なわれた、との説もある。おそらく両方の情念が介在していたと考えられる。死への慟哭から、死の穢れへの忌避へと推移していったことも考えられる。
『日本書紀』の神代記には、天椎彦(あめわかひこ)の死にさいして仮屋を作り殯をし、関係者が集まって、八日八夜悲しみに暮れた、と記されてある。紀・記には、殯がしぱしば登場する。仮屋のかたちは大小様々であったが、喪屋、霊屋(たまや)、素屋(すや)、忌屋(きや)、閉屋(へいおく)、小屋、火屋(ひや)、阿古屋などと呼ぱれる。天皇と皇族の死による殯は、殯宮(ひんきゅう)あるいは梓宮(あずさのみや)で行なわれた。殯は、遺体が腐敗し、白骨化するまで行なわれたようで、貴人の死ほどその期問が長かったといわれる。
天武天皇の死による殯は、二年ニカ月余の長きにわたったと推測されている。遺体を安置した仮屋内の祭壇には、飲食物が供えられ、親族・友人知已が参集し、魂呼びの歌舞(神楽)が行なわれた。殯を行なった仮屋は、時代が下ってもその形式を残し、死者が出ると喪家は仮小屋(忌籠り)、別火生活をいとなむ風習があった。伊豆諸島には、明治の初期まで喪屋生活の遺風があった。
また、時代が下るにつれて喪屋は墓地に作られるようになり、さらに墓そのものが屋根を付けたかたちに変遷していった。つまり殯の場所が墓へ移り、喪よりも葬へ比重が移行していったことになる。 (参考-芳賀登『葬儀の歴史』、五来重『(続)仏教と民族』、遠丸立『死の文化史』) 出典:葬儀式関連用語と解説

殯宮(もがりのみや)とは

殯宮は「もがりのみや」という名で天皇の大喪の礼に、また「ひんきゅう」という名で皇后・皇太后・太皇太后の斂葬の儀までの間、皇居宮殿内に仮設される遺体安置所の名として使用されることになっており、戦後に於いては昭和天皇や貞明皇后、香淳皇后の崩御の際に設置されている(ただし、太皇太后は現在の皇室典範にも定められているものの、実際には平安時代末期以降、現れていない)。崩御後13日目に遺体を収めた棺は御所から宮殿内の殯宮に移御され、崩御後45日目を目処に行われる大喪の礼や斂葬の儀までの間、殯宮拝礼の儀を始めとする諸儀式が行われる。(:weblio)

天皇陛下のお言葉にあった殯(もがり)の行事

天皇陛下のお言葉の一文にあった「殯(もがり)」

天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。(NHK NEWS WEB 2016/8/8?天皇陛下 お言葉より)

天皇陛下が公表されたメッセージ





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まとめ

「殯(もがり)について調べてみました。」いかがでしたでしょうか?

急上昇した検索キーワードの1位から5位がこちらです。

1位 もがり
2位 摂政
3位 殯
4位 宮内庁
5位 市井

検索結果ででてくるサイトの一部には、白骨化するまで遺体を安置する行為のみを取り上げて、殯(もがり)についての説明としているものもありますが、すべてを検索してみるとそういう意味ではないことが分かります。

インターネットの検索は手軽にできるのでとても便利ですが、そこから正しい情報や必要な情報を自分で取捨選択していく必要はまだまだ残っているようですね

今日も最後までご覧いただき、ありがとうございます!



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