親の死に直面した時に後悔しない方法「父親の死から」体験談


記事監修者:一般社団法人終活協議会代表理事:竹内義彦

記事監修者:一般社団法人終活協議会代表理事:竹内義彦
誰しも肉親の「死」は通る道で、避けられないことだと思います。それはいつどのようなタイミングで訪れるかもわかりません。
今回は、親の死に直面した時、「もっとこうしておけば良かった」と後悔しないためにやっておくと良いことについてお話しします。どんな選択をしたとしても、全て尽くしたとしても、それが本当に最善だったかどうかはわからないし、何かしらの後悔は残るものかも知れません。
すべての人に「これで完璧」と言うことは無いと思いますが、私自身、 最近 親の死に直面した経験から、色々感じたことをお伝えしたいと思います。
少しでも参考になれば幸いです。
記事のもくじ
親の死に直面して後悔したこと
筆者は3ヶ月前に父親を亡くしました。
末期癌で、約10ヶ月の闘病生活の末でした。それまで父はとても元気で、いろいろなことに精力的に活動し毎日を楽しんでいました。
もう80歳を超えていましたから「いつ何時」言う思いは私も頭のどこかにありましたが、肉親の最期と言うのは想像しがたく、ずっと元気でいてくれるような気がしていました。
父の病気がわかった時、自分でも想像していた以上にショックで、動揺してしまいました。
まだ何も親孝行できてないのに…早すぎる!
いや、もう80歳超えていますから…親孝行のチャンスはたくさんあったはずです。
いるのが当たり前だと思っていた人が、もしかしたらもう近い将来、会えなくなってしまうのかもしれないと思うと涙が出ました。そこから時間の大切さをすごく感じるようになり、父親と一緒に過ごす時間、父親のしぐさ、会話、そう言ったものがとてもかけがえのないものに感じるように。
病気は不幸なことでしたが、例えば何か不慮の事故で突然の不幸に直面するよりは、少しずつ心の準備ができたことは家族にとっては不幸中の幸いと言えるかもしれません。
それまでちょっと疎遠だった父親と、それまでとはちょっと違う関わり方ができ、知らなかった一面を知ることもでき、いろいろな意味で本当に貴重な数カ月間でした。それまでの何十年よりも、濃い時間でした。
そして、「もっとこうしておけば」と思うこともたくさんありました。
父親が亡くなって今思うことは
- もっとたくさん会いに行けば良かった
- もっと寄り添って、たくさん話を聞いてあげれば良かった
- ちゃんと感謝の気持ちを伝える事ができなかった
- 終活について全く話し合いができなかった
- 元気なうちに、もっといろいろなところに一緒に出かけたり、美味しいものを一緒に食べたりしたかった
- もっと何か親孝行できたのでは無いか
- 本当に父が望むことをしてあげられていただろうか
ということです。
元気だった頃の父、病床でも気丈に振る舞っていた父、最期看取った時の父が同時に重なって現れ、ポッカリと穴が開いたようななんとも言えない寂しい気持ちと、後悔の切なさがこみ上げてきます。
親の死で、後悔しないためにできること
日頃から 感謝の気持ちを伝える
父の最期を看取るとき、私はずっとそばにいて、そして手を握って「ありがとう」とかろうじて言うことができました。
でも父は亡くなる数時間前にはもう意識がない状態だったので、その「ありがとう」は父には届いてなかったのではないかと思います。病気になってからも、あえて悟られないように、他愛もない話しかしませんでした。
もっと早く伝えておくべきでした。
「病気になったから」ではなく、もっと元気なうちに、日頃から感謝の気持ちをもっともっと伝えていれば良かったと思いました。父はとても厳格で気難しい人だったので、子供の頃は苦手でほとんど話をしませんでした。
実はとても愛情深い人で、ただ不器用で表現する事が下手なだけだったんだと、大人になってからは理解できるようになり、尊敬も感謝もしていました。
でも照れ臭さもあり、改めて言葉にして伝えることもしていませんでした。最期の最後に伝えたとしても、それはあまり意味がないのではないでしょうか。
それよりも日頃から素直に伝える方が、きっと嬉しいしお互い幸せだったと思います。
伝えなければ伝わりません。素直に、感謝の気持ちや大切に思っていることを伝えていくことで、より良い関係性も築けるのではないでしょうか。
思ったことは即行動する
人は、生まれた瞬間から「死」へのカウントダウンが始まっているといわれます。
時間には限りがあり、まして高齢の親に残された時間はそれほど多くなく健康でいられる時間はもっと短くなるかもしれません。何かをしてあげたい、と思った時にはもういないかもしれないのです。
私はこのことに気づくのが遅すぎました。と言うより、「その時」が来るのが怖くて考えないようにしていたのだと思います。
自分の身にも、いつ何が起こるかわかりませんよね。
頭ではわかってはいても、そのことを常に意識して行動できている人は少ないのではないでしょうか。
だから、改めて意識して日々を過ごしてほしいと思います。大切な人とのかけがえのない一瞬一瞬を大事にして過ごしてほしい。
「顔が見たい」「話がしたい」「一緒に旅行がしたい」と思ったら、すぐ行動しましょう。
すぐ電話をしましょう。
できるだけ時間を作って、すぐ会いに行きましょう。
喜ぶだろうなと思ったら、すぐ送ってあげましょう。
実は父の病気がわかったのは、家族旅行の計画中でした。海外旅行なので、高齢だし念のため旅行前に健診を受けておこうと検査をしてみたのがきっかけです。
楽しい旅行のための検査だったのに、一気に暗転してしまいました。
医師は「今ならまだ大丈夫。今のうちに旅行に連れて行ってあげたらどうか」とも言ってくださったのですが、高齢でもあり病状が急変するかも知れないという不安もないわけではありませんでした。何より、父本人は治ると信じ「少しでも早く治療を始めたい」と強く望んで、即入院することとなりました。
「今は治療に専念して、また良くなったら行こう」と言う言葉も、結局、実現は叶いませんでした。
「親孝行したい時には親は居ず」とはよく言ったものです。
いつか親孝行したい、旅行に連れて行ってあげたい、とずっと思っていたのにできなかった。
旅行のことは以前から話していたのになかなか実行できずのびのびになっていて
「思い立った時にすぐ行っておけば」
「去年行っていれば…」
とすごく後悔しました。
その後、一時退院して自宅で療養中の父と近所の紅葉を見に行ったこともあったのですが、衰弱していて少しの距離を歩くのもままならず、途中で引き返しました。
父は自然を愛でるのがとても好きだったのですが、紅葉を楽しむ体力すらなくなってしまっていて「もっと元気なうちに連れてきてあげたかったなぁ」と切なくなりました。
過ぎてしまった時間は戻せないので、一緒に過ごせる今を大切にしてほしいと思います。
時間の大切さを思えば、先延ばしにしたり迷ったりすることも少なくなるのではないでしょうか。
寄り添い、話を聞いてあげる
子供が小さい頃はよく帰省していたのですが、だんだん足が遠のき、近年は年に1、2度ちょこっと顔を見に行く程度になっていました。
たまに帰省すると、普段あまり愛想の良くない父が「よく来てくれたね」とぎこちない笑顔で出迎えてくれて、「もっと頻繁に顔を見せてほしい」「また待ってるよ」と精一杯の笑顔で見送ってくれていたことを思い出します。
もっとたくさん会いに行って、話し相手になってあげれば良かった。と思います。
旅行も良いですが、特別どこかに出かけなくても、ただ顔を見て他愛もない話をして、元気を確認するだけでも良かったんです。なかなか会いに行けないなら、電話で声を聞くだけでもお互いに安心できますよね。
忙しいことを言い訳にして、「元気にしているだろう。」と言う慢心や逃げの気持ちもあったかもしれません。
父は政治や歴史の話がすごく好きで、私たちが帰省すると堰を切ったように 怒涛の如く話し続けるのでした。私は父の話に全く興味が持てず、終わりがない父の一方的な話に少々うんざりして いつも上の空でした。
もしかしたらそのウンチク話も、冗談ひとつ言えない不器用な父のサービス精神からだったのかもしれません。
私自身にもう少し思いやりの気持ちと寛容さがあれば、もっと父の気持ちを汲んであげることができたのではと思います。
今だから思うことですが、たまにしか会わないんだからもっとちゃんと話を聞いてあげれば良かった。いや、もっと会いに行って、もっといろいろな話をすれば良かった。
そうすればもっと早く、不調にも気付いてあげられたかも知れない。。後悔は取り止めもありません。離れていても、日頃からもっと関心を寄せ、言葉をかけてあげる、話を聞いてあげると言うことをしておけば良かったと痛感しています。
「病気になったらみんなが会いに来てくれるから、悪いことばっかりじゃないね」と父が言っていたのを思い出します。
元気なうちに終活を始める
父は80歳を超えていたにもかかわらず、とても知的好奇心が旺盛で、いろいろなことに前向きでした。
それはとても素晴らしいことですが、自分の最期のことなどまだまだ先のことだと思っていたようで「終活」についてはまったく手付かずでした。
病気になってからも驚くほど前向きで、泣き言を一切言わず 自分の「万が一」の時の話も一切口にしませんでした。
私たち家族も気がかりではありましたが、元気な時ならまだしもすでに病床にある父に万が一の話をするのはとても酷で、結局できずじまいでした。母さえも父の資産を全ては把握しておらず、父が亡くなってから遺品や資産を整理するのが本当に大変でした。
全く整理されてない本や書類の山、大事なもの・そうでないものの区別も無く、山積みされた新聞の中に通帳が紛れていたり、どこに何があるかわからないのでひとつひとつ確認しなければなりませんでした。
印鑑や暗証番号もわからないと、本人以外の手続きは複雑で書類の作成などとても手間がかかりました。
あまりの惨状に、母が、父の遺影に向かって「お父さん、あんまりですよ」と愚痴をこぼしたくらいです。笑
これは本当に、父が元気なうちに少しずつ確認して整理しておくべきだったと後悔しました。
近年「終活」の認知度が高まってきてはいますが、父にはあまりその意識がなかったので、私たち家族が提案するとか専門家に相談するなどして、手伝いながら進めていけば良かったと思います。私は父の最期を見ていて、その人の最期にはその人の生き様や、その人の人生が凝縮されるのだなと思いました。
人生の「最期」も「人生の一部」です。
「死」について触れることは一般的にタブーと思われがちですが、自分の人生の最期について考えておくことはとても大事ですよね。
どのようなエンディングを迎えるかは、どのように生きるかを考えることと同じですので、このことを理解してもらい話し合っておく事が大事だと思いました。
普段からきちんと整理されている人でも、いざと言う時のために大事なものはきちんと確認できるようにしておくのが望ましいです。亡くなってからいろいろ見つかって家族に迷惑がかかったり揉め事にもなるケースもあります。
家族でもプライバシーや尊厳の問題もありますので、そう言う部分も踏まえできるだけ生前に整理してスッキリさせておくのが本人のためでもあると思います。
やるべき事がわからない、何から始めたらわからない、と言う場合は、専門家に相談してみるのも良いと思います。
生活の質(QOL)のバランスを考える
これは病気になった時に治療や延命措置などをどうするかについての話です。
大切なのは本人の意思が尊重されることだと思いますが、高齢者の場合は体力に配慮してあまり強い治療は行わず、日常生活を維持できるよう、QOL(クオリティオブライフ=生活の質)を重視した考え方をされる場合が多いようです。
辛い治療に耐えて完治するならまだしも、体力が持たず日常生活が送れなくなってしまうと元も子もないからです。
何度か家族で話し合いもしましたが、父は「とにかく治したい」と言う気持ちが強く、治療を優先させてきました。
でも副作用で日常生活がままならなくなってしまい、好きなものも食べられず、それで多少延命できたとして本人は本当に幸せなんだろうか?
本当に父はこれを望んでいるんだろうか?と言う葛藤がありました。
父はつらい治療にも一切泣き言を言わず、最後まで前向きに、最後の最後まで生きることを諦めませんでした。
その気丈な姿を見ていると父に後悔はなかったかもしれないとも思いますが、家族としてはもっと早く決断を促すべきだったのかもしれないと言う思いも残りました。
意識が薄れる中でも、まだ新聞を読もうとしていた父。
強い痛み止めの副作用で昏睡状態になってしまった父。
最後、誰かに何か伝えたいことはなかったんだろうか。
先ほども触れた「エンディング」や「終活」の話にも共通しますが、本人と家族にとってもできるだけ納得のいく形で最期が迎えらるよう話し合いをしておくことは大事だと思います。
親の死と向き合う「やっておいて良かったと思う事」
後悔も多々ありますが、やっておいて良かったと思ったこともありました。
それは父が病気になってからのことですが、父の写真や動画を撮って残していたことです。まだ元気でいろいろな話をしたり寛ぐ父の姿や、その日の出来事や話したこと、食べたものなど、ざっくりとですが記録のために書き残していました。
亡くなる直前の父はちょっと痛々しい姿ですが、最後まで気丈に諦めずに生きようとしていた父の姿には感銘を受けましたし、心から尊敬できると思いました。
父との闘病生活の中では、それまで知らなかった父の一面を見る事もできました。十分ではなかったと思いますが、少しでも寄り添えたことは良かったと思います。
亡くなった直後は辛くて見る事ができなかったんですが、時間が経つにつれ時々見て生前の父を偲び、いろいろな思いを巡らせたりしています。
まとめ:親の死に直面した時後悔しないために
いかがだったでしょうか。
ちょっと父への思いが込み上げてきて、私的な内容も多くなってしまったかも知れません。
親が死ぬ前にやっておけばよかったと思うこと、後悔しないためには
- 日頃から感謝の気持ちを伝える
- 思ったことは即行動する
- 寄り添い、話を聞いてあげる
- 元気なうちに終活を始める
- 治療と生活の質のバランスを考え、よく話し合う
資産や相続のことを話し合っておくことや、印鑑や通帳の保管場所、暗証番号などを確認しておくことも大切ですが、それ以上に、かけがえのない時間を大切にし、お互いの思いや意思を伝え、確認し、話し合っておくことだと思います。
親自身が自分の人生について、最期についてどのように考えているのかを知っておく事が大事なのではないでしょうか。
少しでも参考になれば幸いです。

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竹内
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